お心遣いに励まされ、おかげさまで告別式、初七日法要を執り行うことができましたことをご報告いたします。
三月十日、亡くなった日は涙雨
三月十四日は、雪の告別式となりました。
大動脈解離での突然の別れでしたが、父の表情は柔和で、苦痛は感じられず、「お母さまが迎えに来たから笑顔ですね」と関係者の方がおっしゃるように、二〇〇五年に心筋梗塞で急逝しました母と会えたというのを感じました。
今回、父の携帯電話の通話履歴、登録番号、年賀状などから交友関係に、お一人お一人お電話した際に皆さんから、知らなかった父の、四十六年五ヶ月勤め上げた富士通の職場では、機械に詳しくいろいろ教えてもらったとか、毎日のように活動していたボランティアのお仲間さんからは、不言実行で黙々と活動し、父の居なくなった穴は埋められないとか、カラオケで歌が上手だったなどというお話をうかがい、ますます自慢の父となりました。
お通夜の際にも、父の長兄や親族からも、子供の頃の苦労話や自分で学費を稼ぎながら勉学に励んだことなど、初めて聴くお話も伺いました。お通夜のあと、父の口が開いて何かを喋っていたようでした。
皆様の、沢山のお悔やみコメントやメッセージ、観世能楽会代表取締役 田中敏之様、観世流能楽師 武田友志先生、武田文志先生、社会福祉法人柊の郷理事長 足高慶宣様、武楽座、武楽稽古生の皆さん他多くの方からの供花、安倍晋三総理、麻生太郎副総理、高村正彦自民党前副総裁・日本武道館会長、山本ともひろ防衛副大臣・内閣府副大臣、松尾崇鎌倉市長、小林弘明豊島区議会議員、丹羽貴大京都造形芸術大学副学長、上杉孝久みすず御夫妻、奥山功日本きもの連盟会長きものサロン桂社長、柳生心眼流體術荒木堂十一世 梶塚靖司様、モギデザインMogi Kayokoさん、株式会社五六 平沼成基さんをはじめ、多くの弔電など、父も喜び供養になったと感じました。
茲に生前のご厚情に感謝いたしますとともに 今後とも変わらぬご厚誼を賜りますようお願い申し上げます
本来であれば、直接お礼を申し上げたいところではございますが 略儀ながら書中にて失礼いたします
令和2年3月17日
源 光士郎